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2024.07.08(月)
ドキュメンタリー映画『ちゃわんやのはなし-四百年の旅人-』舞台挨拶決定!
平素よりシアター・エンヤをご愛顧いただき誠にありがとうございます。
朝鮮をルーツに持つ薩摩焼の陶芸家の名跡である沈壽官(ちんじゅかん)家の420年以上にわたる歴史を背景に、日本と韓国における陶芸文化の発展と継承の道のりをひも解いたドキュメンタリー映画『ちゃわんやのはなし-四百年の旅人-』を、8月2日(金)〜8月8日(木)の1週間限定で上映することになりました。そして、今回唐津での上映を記念し、本作にご出演されている十五代 沈壽官さんをお招きしての舞台挨拶が決まりました!
唐津と言えば「唐津焼」。古い歴史を誇る「唐津焼」は、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、朝鮮陶工を連れて帰り、その技術を取り入れたことで生産量を増していきます。本作には、佐賀県立名護屋城博物館も登場し、唐津にもゆかりのある作品となっています。
▼イベント詳細
【日時】
8月3日(土)10時の回、上映終了後予定
【料金】
一般1,800円、シニア(60歳以上)1,100円、3歳~大学生1,000円 ※シニア、学生は要証明書
【備考】
・チケットはご鑑賞ご希望日の5日前から劇場窓口、WEBでご購入できます。
▼作品紹介
『ちゃわんやのはなし-四百年の旅人-』
遡ること420年前、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出兵の帰国の際に、主に西日本の大名たちは朝鮮人陶工を日本に連れ帰った。薩摩焼、萩焼、上野焼などは朝鮮をルーツに持ち、今もなお伝統を受け継いでいる。
薩摩の地では、島津家が彼らを厚く庇護をして苗代川という地に住まわせた。その中に沈壽官家の初代となる沈当吉がいた。以来、沈壽官家は研磨を重ね多彩な陶技を尽くした名品の数々を世に送り出し、世界中に “SATSUMA”の名が広がった。幼少期に経験した言われなき偏見や差別の中で、日本人の定義とは何かと自身のアイデンティティに悩んだ十五代沈壽官を救った司馬遼太郎の至宝の言葉。その十五代沈壽官が修行時代を過ごした韓国・利川にあるあるキムチ甕工房の家族は、十五代から学んだ伝統を守る意義を語る。沈壽官家の薩摩焼四百年祭への願い。そして、十二代渡仁が父から受け継いだ果たすべき使命。十五代坂倉新兵衛が語る父との記憶と次の世代への想いとは。
朝鮮をルーツに持つ陶工たち、その周囲の人々の話が交差し、いま見つめ直すべき日本と韓国の陶芸文化の交わりの歴史、そして伝統の継承とは何かが浮かび上がる。
作品WEBサイト:https://www.sumomo-inc.com/chawanya
▼沈壽官(ちんじゅかん)家とは
薩摩焼の陶芸家の名跡。鹿児島県日置市東市来町美山(旧・苗代川)に窯元を置く。沈家が、初めて日本の土を踏んだのは慶長3年(1598年)のこと。朝鮮半島からはるか海を越え、薩摩(鹿児島)の地に連れてこられた陶工たちは、島津藩の命を受け、苦難の末に薩摩焼を創成。その中心的な役割を果たした一人が、初代 沈当吉であった。以来、沈壽官窯は、島津家の厚い庇護のもと研鑽を重ね、多彩な陶技を尽くした名品の数々を次々に世に送り出す。特にその品格と美しさから、島津藩の調度品や朝廷への献上品として格別に珍重されたのが、「白もん」と呼ばれる白薩摩であった。明治6年には、第十二代がウィーン万国博覧会に大花瓶を出品。日本の陶磁器を代表する華麗な芸術品として絶賛を博す。令和元年6月に亡くなった十四代は、司馬遼太郎と親交があり、司馬の小説『故郷忘じがたく候』(1968年刊)に主人公として登場。89年に国内初の大韓民国名誉総領事に就任するなど、日韓の文化交流に力を尽くしたことでも知られている。10年には長年の日韓文化交流活動が評価され、旭日小綬章を受章。
1999年に現在の十五代が沈壽官を襲名し、400年以上にもわたる一子相伝の技を守り、沈家の歴史が紡がれている。
沈壽官窯WEBサイト:https://chin-jukan.jp/
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